ボーっとする時間は無駄という風潮

近年、スマートフォンの浸透により、誰もがどこでも忙しなく情報を追っています。
かつては公園のベンチやカフェでゆったりと過ごす人たちが目立ちましたが、そのような時間を過ごす人が減少しているのではないでしょうか。
この背景には、ボーっとする時間を「無駄」と考える社会的風潮があります。

確かに、デジタルの普及により、私たちの日常は劇的に変わりました。
電車でも歩道でも、多くの人がスマホに没頭しています。
このような状況が広がっている背後には、効率と速度を重視する社会が大きな影響を及ぼしていると言えるでしょう。
「タイパ」などという言葉が流行するように、特に若者を中心に、自分の時間を有効に使うべきだというプレッシャーめいたものが感じられます。

ボーっとする時間が不要とされる傾向は、SNSやメディアで取り上げられる「成功者」の多忙なスケジュールが影響している可能性もあります。
そのような情報に接すると、自分も効率的に時間を使わなくてはならないと感じてしまうからです。
また、単にスマホのアプリが暇つぶしにちょうどいいからという理由もあでしょう。
ただ、やはりこの場合も、空いた時間に何かしなければならないという風潮があるからではないでしょうか。

しかし、ボーっとする時間が無駄だと本当に言えるのでしょうか。
スマホに集中する間に、実は何か大切なものを見失っている可能性も考えられます。
効率や生産性ばかり追求することで、犠牲にしているものもあるはずです。
常に何かをしている状況では、心の中で静かに考える時間が減ってしまいます。
となると必然的に、自分自身と向き合い、何が本当に大切なのかを考える時間も失われるということです。

ボーっとする時間は有意義

ボーっとすることがもたらす無駄にも、見方によっては大切な価値があるのではないでしょうか。
ボーっとする時間は精神的なリフレッシュを与え、新たな視点や創造性を生み出す場となります。
いわば、内なる世界に意識を向け、自分自身と向き合う機会を提供してくれる貴重な機会なのです。

頭の中を整理することで、日々の忙しさに埋もれがちな自分の感情や考えに気づくこともできます。
たとえば、多忙な日常では気づかなかった新しいアイデアや解決策が、ボーっとしているうちにふっと浮かんでくることなどはよくある話です。

また、日々の生活で受ける情報が多すぎるのも問題です。
もう一度自分の時間を有意義に使うために考え直してはいかがでしょうか。
SNSやニュースなどさまざまな通知が絶えず届く状態では、情報の整理や消化が追いつかなくなってしまいます。
そこで、あえてボーっとする時間を作って一時的にいろんな情報からあえて距離を置き、自分にとって真に大切なものは何かを見つめ直すのです。